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─ Jerzy、イスタンブールについて道端であなたが呼び止められて話をしたのはいつが最後ですか?
正直、毎回みんなから決勝について質問を受けていますよ。彼らはみんなあの試合について見解や意見を持っています。僕がLiverpoolやManchesterに行く度にいまだにその質問は受けますし、まだ「イスタンブールはどうだったんだ」という質問をしてきますよ。まだ彼らの中にそれは残っていますし、それは素晴らしいことです。僕の友人は道端でファンに会った時に彼らが僕に話し掛けることについていつも聞いてきますが、正直ここでは答えられないことがたくさんありますよ。彼らはDudekダンスや足のふらつきについて話をして来ますし、僕のセーブについてやスタジアムの雰囲気について質問して来ます。ですが僕にとって1番重要なのは、彼らが自分たちのことも話してくれることです。
特に僕にとって際立った瞬間は、ハーフタイムの時点で3点差を付けられてトンネルを潜ってドレッシングルームに戻る時に、ファンが立ち上がって'You'll Never Walk Alone'を歌ってくれたことですネ。僕たちは3-0でリードを許していたのにまだ彼らは歌ってくれたのです。本当に素晴らしい事でしたよ!結果的に僕たちが勝ったのは彼らの存在があったからです。彼らは僕たちを力付けてくれましたし、僕たちなら成し遂げられると信じる力となってくれました。
─ 3-0でハーフタイムを迎えた時のドレッシングルームのムードはいかがでしたか?
ハーフタイムの時、ファンは僕以上の信頼を寄せてくれていました。ドレッシングルームで腰を下ろした時、僕が正直者であったなら、これが僕の人生で最高の 夜に変えることが出来るとは考えませんでしたよ。お願いだからこれ以上ゴールを決めないでくれと考えていました。何かを信じなければなりませんが、3-0 でしたからネ!
─ ハーフタイムの時にRafaはあなたに個人的に話をしたのですか?
監督は僕に顔を上げ続けるよう伝えましたが、とてもきつかったですネ。僕は怒っていましたが僕は後半に集中しなければならないことを理解していました。 3、4年前の決勝で5-0で終わったことがあるのを覚えていますし、それが僕の心の中にありました。諦めることは出来ますが、自分のことは常に信じなけれ ばなりません。そして常に願いを持たなければなりません。個人のプライドが浮かんできましたが、僕たちを見るためにここまで旅をして来てくれたファンにこ れ以上の痛みを与えることは出来ませんでしたよ。そして後半になって予想外のことが起こったのです。それが奇跡だったのかどうかは僕には分かりません。で すが全く信じられない出来事でしたし、全く理解しがたいものでしたよ。フットボールをプレーしていれば、ファンのためにプレーしていることを認識しなけれ ばなりません。イスタンブールでは特に後半と延長の間、僕たちがしていたことはまさにファンのためのプレーでしたネ。僕たちは自分たちのことを試合に引き 戻すために懸命に努力しました。ヨーロッパのチームがLiverpoolのようなイングランドのチームと対戦する時はみんな恐れるものです。彼らが3点 リードしていた時、彼らは1点許すことを恐れていました。彼らは何が起こりうるかを知っていましたからネ。僕たちが1点目を決めた時、Milanは怖がっ ていたと思います。そして直後に2点目を決めた時には怯えていました。3点目については彼らは単に何もできなくなっていました。それがLiverpool のパワーだからですよ。
─ イスタンブールでの経験の中から一つハイライトを選ぶとすればどれを選びますか?
僕たちが後半をプレーするためにトンネルから出て来た時は僕の人生において最高の瞬間でしたネ。僕が出て来た時は3-0で負けていました。みんなが立ち上 がって'You'll Never Walk Alone'を歌ってくれた時に僕はまだそれを感じることが出来ていましたよ。僕は「これは信じられない。僕たちは3-0で負けている中、後半を迎えよう とトンネルを歩いているのにみんながまだ歌ってくれている。」と自分に言っていました。信じられませんでしたネ。僕にとっては一番の素晴らしい瞬間でした よ。特定のセーブについて話すことを僕は望んではいません。これは僕の人生で経験したことのないものでしたからネ。
─ PK戦に向かう前、最終的にあなたの夜になり得るように見え始めましたが…。
得点して3-3になった後、みんなはAndriy Shevchenkoのシュートをセーブしたことを話題にしていましたが、結局僕は自分の仕事をしただけです。最初のシュート(ヘディング)に備えていま したし、迫って来るのが見えました。僕はそれを止めましたが(ヘディングを弾いた直後の)2発目は、出来るだけ早く立ち上がって、出来るだけボールに寄せ たいと考えただけです。Schevchenkoは簡単にゴール出来ると考えたでしょうし、だから彼はやるべきことをやったのです。彼は目一杯強いシュート を打ちましたが、そのボールは僕の右手に当たってクロスバーのはるか上に上がったのです。あれがゴッドハンドだと言うかは分かりませんが、確かにそう見え ましたネ。手がどこからともなく出て来たのですから。僕は跪いていて立ち上がることが出来ませんでした。シュートはかなり早かったですからネ。あれは間違 いなく奇跡でしたよ。
─ PK戦のことは覚えていますか?
PK戦のことは全て覚えていますよ。僕はとても集中していました。選手が蹴るのをずっと待っていましたし、それからボールにダイブしました。ですがPKはシュートを打つ方もキーパーが動くのを待っていますから簡単ではありません。
最後のPKの時は、僕が止めたようではありませんでしたし、それから「よし、僕たちはやったんだ!」と考えました。「守たぞ!試合は終わったのか?」とい うようなことを思いました。そのあとJamie Carragherが僕に向かって走ってくるのが見えて、全て終わったんだと分かりました。それからですよ。僕がその夜を楽しめたのは。僕たちが感じたこ とを言葉にするのはとても難しいのですが、大きな、とても大きな幸福でしたネ。「僕たちはやり遂げたんだ」と僕は考え続けましたよ。試合後は全員が喜んで いましたし、一晩中ピッチに残っていたいと考えてました。最高の気分でしたからネ。
─ あなたがセーブした時のことをファンは人生最高の瞬間だと言っていました。あなたの人生にとっても最高の瞬間でしたか?
はい確かに。質問されるまでもありませんよ。あの瞬間は素晴らしかったですし、まさに気持ちが満たされた瞬間でしたネ。僕の妻はイスタンブールに来ること が出来ませんでしたから、僕はポーランドに戻って彼女に会いました。彼女は友人たちと大きなスクリーンで観戦していました。50人くらいだったと思いま す。試合後に彼らは僕の両親を捜してお礼を言うために僕の村に行ったんです。僕は後でそのビデオを見て、みんなも同じ気持ちになってくれたんだと感じまし たネ。最高でしたよ。
─ ShevchenkoのPKを止めたときのあなたの最初の一言は何でしたか?
イエーーーーーース!でした。みんな同じだったと思いますよ。みんなこういう言葉と、「やった、やった、やったんだ!」と言っていましたよ。実際は言ったことを説明出来ないのですが、素晴らしい、最高の瞬間でしたよ。
─ ピッチからスタンドのファンを見上げた時は格別の光景だったのではないですか?
誰が良い時間を過ごしたのかは分かりません。僕たちなのかファンなのかネ。彼らは試合前、そして試合が始まってからも大騒ぎしていました。試合前にパブに いるファンの映像を見て以来、そういうシーンには涙が出ますよ。彼らは20年も待っていたのですからあの夜や感情を受け取るに値します。歌や旗、そして ビールを片手にイスタンブールに行くために彼らがした全ての準備で、1つの家族のようになっていましたネ。みんなが一緒に歌っていましたし、見ていて素晴 らしかったですよ。ファンのポジティブな影響が、後半チームに乗り移ったんだと思います。僕の息子はずっと幸運を祈っていたと言っていました。彼が父親の 試合を全部見たのはそれが初めてだったのです。あの試合を見ていた誰もが、僕たちが3-0で負けていた時でさえもポジティブに考えていました。僕が道端で 会う人はいつも「Jerzy、3-0で負けてた時だって僕たちはまだやれると信じていたよ!」と言います。
─ あの決勝のビデオを何度見ましたか?
PKを見ただけですよ。決勝直後の休暇中に代表戦があって「僕は何も見たくない、この試合に集中したい」と言ったのですが、それは不可能でしたネ。みんな が決勝のことを質問して来ましたしコーチは僕のところへ来て「Jerzy、しっかり切り替えて質問には答えないでくれ。この試合をプレーしてから、君の希 望する長さのお祝いを楽しめば良いよ。」と言いました。僕はそうしましたよ。Azerbaijan戦を僕たちは3-0で勝利しましたが、素晴らしかったで すネ。
実はChampions Leagueの決勝直後、代表選で家を離れていた時、妻が僕に電話をして来て「5月はあなたにとってとてもラッキーだわ」と言ったので僕は「分かった。分 かった」と答えたんです。彼女は「あなたがChampions Leagueで優勝したからだけじゃなく、私が妊娠したからよ」と言いました。僕たちは娘を持つことになったんです。僕は娘にVictoriaと言う名前 を付けましたよ。Champions League決勝のことがありましたからネ。今はずっと彼女たちと過ごしていますよ。
─ Istanbulにいたけれど今はクラブを離れてしまった選手たちとは連絡を取っていますか?
えぇ。特にチェコ人選手とはネ。グループリーグのBordeauxとのアウェイ戦を戦った時、僕はVladi(Smicer)と話をしましたし、 Milan Barosとも話をしました。Igor(Biscan)とも連絡を取っていますし、Didi(Hamann)は今でも僕の住む村に住んでいますよ。ですか ら僕たちはまだ連絡を取り合っていますよ。あの試合は素晴らしい選手たちのグループで達成した素晴らしい功績でしたよ。僕たちはまだ良いスピリットを持っ た素晴らしい仲間なんです。
─ 忘れ去られることのない試合でプレーしたんだということを知ってどういう気持ちですか?
特別な気分ですネ。個人的には史上最高の決勝だったと思いますよ。これからああいう決勝が現れるかは僕には分かりません。Liverpoolがもっと多く の決勝を勝つことを僕は願っていますが、同じことが起こるとは思いません。あの試合は僕の人生でたった1度だけ起こったことです。僕はポーランドがイング ランドと1-1で引き分けた時にちょうど生まれましたが、みんな今でもその試合のことを話しています。ポーランド人の僕たちにとって、イングランドとの試 合は前世紀の試合です。恐らくLiverpoolがChampions Leagueを勝つのは新世紀の試合になるんじゃないでしょうか?あのイスタンブールの夜を振り返る時、僕は自分やチームメイトのことを幸せに思います が、ファンのことにより幸せを感じますネ。彼らは常にクラブと共にいてくれるでしょうし、さらにトロフィーを勝ち取ることを望んでいます。選手たちは他の クラブに移籍したり、引退してしまいますが、ファンは良い時期も悪い時期も残り続けます。Liverpoolはみんなのクラブです。最後の日にはファンの ために全てをやらなければなりません。彼らはLiverpoolの試合を見に来てくれますし、優勝を望みます。彼らのために僕たちが与えたあの夜はきっと 彼らに相応しいものだったと思いますよ。
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先日の最終節(Almeria戦)をもってDudekが引退しました。
Dudekは先発出場をさせてもらい、キーパーとしては異例とも言える後半33分での交代という花道を飾らせてもらいました。
交代が告げられると、ピッチに立っていたMadridの選手たちが全員センターライン付近で整列してDudekを送り出してくれたんですよネ。
物凄く粋な演出。
HyypiaのLiverpool最終試合とは雲泥の差でした(笑)
移籍から4年間Casillasの控えという立場を受け入れて頑張っていた彼がいかにこのチームで愛されていたのかが良く伝わってきましたネ。
Dudekと言えば誰もが思い出す2005年のChampions League決勝。
あの試合は今思えば本当に不思議な試合でした。
3-0とリードされた後半54分、56分、60分と立て続けにゴールを決めて追いつきましたが、その他の時 間帯はほとんどがMilanのもので、特に後半半ばからは完全に足が止まってしまい精神力だけで延長まで戦い切ったように思います。
実は僕はもうあの試合を見るのがイヤで、決勝戦の数日後に2度目を見て以来ずっと封印したままです(苦笑)
ですがあの試合の1つ1つのプレーは心に深く刻まれており、中でも何度も神がかり的なセーブを見せてくれたDudekの姿は特に強く焼き付いています。
その彼が言ってくれた言葉。
「ファンにこれ以上の痛みを与えるわけには行かない」「あの試合はファンのための試合だった」
とても嬉しい言葉ですネ。
引退後はどういう生活を送ろうとしているのかは知りませんが、またどこかで彼と再会出来る日を楽しみにしています。
お疲れ様でした。
ハーフタイムの時、ファンは僕以上の信頼を寄せてくれていました。ドレッシングルームで腰を下ろした時、僕が正直者であったなら、これが僕の人生で最高の 夜に変えることが出来るとは考えませんでしたよ。お願いだからこれ以上ゴールを決めないでくれと考えていました。何かを信じなければなりませんが、3-0 でしたからネ!
─ ハーフタイムの時にRafaはあなたに個人的に話をしたのですか?
監督は僕に顔を上げ続けるよう伝えましたが、とてもきつかったですネ。僕は怒っていましたが僕は後半に集中しなければならないことを理解していました。 3、4年前の決勝で5-0で終わったことがあるのを覚えていますし、それが僕の心の中にありました。諦めることは出来ますが、自分のことは常に信じなけれ ばなりません。そして常に願いを持たなければなりません。個人のプライドが浮かんできましたが、僕たちを見るためにここまで旅をして来てくれたファンにこ れ以上の痛みを与えることは出来ませんでしたよ。そして後半になって予想外のことが起こったのです。それが奇跡だったのかどうかは僕には分かりません。で すが全く信じられない出来事でしたし、全く理解しがたいものでしたよ。フットボールをプレーしていれば、ファンのためにプレーしていることを認識しなけれ ばなりません。イスタンブールでは特に後半と延長の間、僕たちがしていたことはまさにファンのためのプレーでしたネ。僕たちは自分たちのことを試合に引き 戻すために懸命に努力しました。ヨーロッパのチームがLiverpoolのようなイングランドのチームと対戦する時はみんな恐れるものです。彼らが3点 リードしていた時、彼らは1点許すことを恐れていました。彼らは何が起こりうるかを知っていましたからネ。僕たちが1点目を決めた時、Milanは怖がっ ていたと思います。そして直後に2点目を決めた時には怯えていました。3点目については彼らは単に何もできなくなっていました。それがLiverpool のパワーだからですよ。
─ イスタンブールでの経験の中から一つハイライトを選ぶとすればどれを選びますか?
僕たちが後半をプレーするためにトンネルから出て来た時は僕の人生において最高の瞬間でしたネ。僕が出て来た時は3-0で負けていました。みんなが立ち上 がって'You'll Never Walk Alone'を歌ってくれた時に僕はまだそれを感じることが出来ていましたよ。僕は「これは信じられない。僕たちは3-0で負けている中、後半を迎えよう とトンネルを歩いているのにみんながまだ歌ってくれている。」と自分に言っていました。信じられませんでしたネ。僕にとっては一番の素晴らしい瞬間でした よ。特定のセーブについて話すことを僕は望んではいません。これは僕の人生で経験したことのないものでしたからネ。
─ PK戦に向かう前、最終的にあなたの夜になり得るように見え始めましたが…。
得点して3-3になった後、みんなはAndriy Shevchenkoのシュートをセーブしたことを話題にしていましたが、結局僕は自分の仕事をしただけです。最初のシュート(ヘディング)に備えていま したし、迫って来るのが見えました。僕はそれを止めましたが(ヘディングを弾いた直後の)2発目は、出来るだけ早く立ち上がって、出来るだけボールに寄せ たいと考えただけです。Schevchenkoは簡単にゴール出来ると考えたでしょうし、だから彼はやるべきことをやったのです。彼は目一杯強いシュート を打ちましたが、そのボールは僕の右手に当たってクロスバーのはるか上に上がったのです。あれがゴッドハンドだと言うかは分かりませんが、確かにそう見え ましたネ。手がどこからともなく出て来たのですから。僕は跪いていて立ち上がることが出来ませんでした。シュートはかなり早かったですからネ。あれは間違 いなく奇跡でしたよ。
─ PK戦のことは覚えていますか?
PK戦のことは全て覚えていますよ。僕はとても集中していました。選手が蹴るのをずっと待っていましたし、それからボールにダイブしました。ですがPKはシュートを打つ方もキーパーが動くのを待っていますから簡単ではありません。
最後のPKの時は、僕が止めたようではありませんでしたし、それから「よし、僕たちはやったんだ!」と考えました。「守たぞ!試合は終わったのか?」とい うようなことを思いました。そのあとJamie Carragherが僕に向かって走ってくるのが見えて、全て終わったんだと分かりました。それからですよ。僕がその夜を楽しめたのは。僕たちが感じたこ とを言葉にするのはとても難しいのですが、大きな、とても大きな幸福でしたネ。「僕たちはやり遂げたんだ」と僕は考え続けましたよ。試合後は全員が喜んで いましたし、一晩中ピッチに残っていたいと考えてました。最高の気分でしたからネ。
─ あなたがセーブした時のことをファンは人生最高の瞬間だと言っていました。あなたの人生にとっても最高の瞬間でしたか?
はい確かに。質問されるまでもありませんよ。あの瞬間は素晴らしかったですし、まさに気持ちが満たされた瞬間でしたネ。僕の妻はイスタンブールに来ること が出来ませんでしたから、僕はポーランドに戻って彼女に会いました。彼女は友人たちと大きなスクリーンで観戦していました。50人くらいだったと思いま す。試合後に彼らは僕の両親を捜してお礼を言うために僕の村に行ったんです。僕は後でそのビデオを見て、みんなも同じ気持ちになってくれたんだと感じまし たネ。最高でしたよ。
─ ShevchenkoのPKを止めたときのあなたの最初の一言は何でしたか?
イエーーーーーース!でした。みんな同じだったと思いますよ。みんなこういう言葉と、「やった、やった、やったんだ!」と言っていましたよ。実際は言ったことを説明出来ないのですが、素晴らしい、最高の瞬間でしたよ。
─ ピッチからスタンドのファンを見上げた時は格別の光景だったのではないですか?
誰が良い時間を過ごしたのかは分かりません。僕たちなのかファンなのかネ。彼らは試合前、そして試合が始まってからも大騒ぎしていました。試合前にパブに いるファンの映像を見て以来、そういうシーンには涙が出ますよ。彼らは20年も待っていたのですからあの夜や感情を受け取るに値します。歌や旗、そして ビールを片手にイスタンブールに行くために彼らがした全ての準備で、1つの家族のようになっていましたネ。みんなが一緒に歌っていましたし、見ていて素晴 らしかったですよ。ファンのポジティブな影響が、後半チームに乗り移ったんだと思います。僕の息子はずっと幸運を祈っていたと言っていました。彼が父親の 試合を全部見たのはそれが初めてだったのです。あの試合を見ていた誰もが、僕たちが3-0で負けていた時でさえもポジティブに考えていました。僕が道端で 会う人はいつも「Jerzy、3-0で負けてた時だって僕たちはまだやれると信じていたよ!」と言います。
─ あの決勝のビデオを何度見ましたか?
PKを見ただけですよ。決勝直後の休暇中に代表戦があって「僕は何も見たくない、この試合に集中したい」と言ったのですが、それは不可能でしたネ。みんな が決勝のことを質問して来ましたしコーチは僕のところへ来て「Jerzy、しっかり切り替えて質問には答えないでくれ。この試合をプレーしてから、君の希 望する長さのお祝いを楽しめば良いよ。」と言いました。僕はそうしましたよ。Azerbaijan戦を僕たちは3-0で勝利しましたが、素晴らしかったで すネ。
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─ Istanbulにいたけれど今はクラブを離れてしまった選手たちとは連絡を取っていますか?
えぇ。特にチェコ人選手とはネ。グループリーグのBordeauxとのアウェイ戦を戦った時、僕はVladi(Smicer)と話をしましたし、 Milan Barosとも話をしました。Igor(Biscan)とも連絡を取っていますし、Didi(Hamann)は今でも僕の住む村に住んでいますよ。ですか ら僕たちはまだ連絡を取り合っていますよ。あの試合は素晴らしい選手たちのグループで達成した素晴らしい功績でしたよ。僕たちはまだ良いスピリットを持っ た素晴らしい仲間なんです。
─ 忘れ去られることのない試合でプレーしたんだということを知ってどういう気持ちですか?
特別な気分ですネ。個人的には史上最高の決勝だったと思いますよ。これからああいう決勝が現れるかは僕には分かりません。Liverpoolがもっと多く の決勝を勝つことを僕は願っていますが、同じことが起こるとは思いません。あの試合は僕の人生でたった1度だけ起こったことです。僕はポーランドがイング ランドと1-1で引き分けた時にちょうど生まれましたが、みんな今でもその試合のことを話しています。ポーランド人の僕たちにとって、イングランドとの試 合は前世紀の試合です。恐らくLiverpoolがChampions Leagueを勝つのは新世紀の試合になるんじゃないでしょうか?あのイスタンブールの夜を振り返る時、僕は自分やチームメイトのことを幸せに思います が、ファンのことにより幸せを感じますネ。彼らは常にクラブと共にいてくれるでしょうし、さらにトロフィーを勝ち取ることを望んでいます。選手たちは他の クラブに移籍したり、引退してしまいますが、ファンは良い時期も悪い時期も残り続けます。Liverpoolはみんなのクラブです。最後の日にはファンの ために全てをやらなければなりません。彼らはLiverpoolの試合を見に来てくれますし、優勝を望みます。彼らのために僕たちが与えたあの夜はきっと 彼らに相応しいものだったと思いますよ。
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先日の最終節(Almeria戦)をもってDudekが引退しました。
Dudekは先発出場をさせてもらい、キーパーとしては異例とも言える後半33分での交代という花道を飾らせてもらいました。
交代が告げられると、ピッチに立っていたMadridの選手たちが全員センターライン付近で整列してDudekを送り出してくれたんですよネ。
物凄く粋な演出。
HyypiaのLiverpool最終試合とは雲泥の差でした(笑)
移籍から4年間Casillasの控えという立場を受け入れて頑張っていた彼がいかにこのチームで愛されていたのかが良く伝わってきましたネ。
Dudekと言えば誰もが思い出す2005年のChampions League決勝。
あの試合は今思えば本当に不思議な試合でした。
3-0とリードされた後半54分、56分、60分と立て続けにゴールを決めて追いつきましたが、その他の時 間帯はほとんどがMilanのもので、特に後半半ばからは完全に足が止まってしまい精神力だけで延長まで戦い切ったように思います。
実は僕はもうあの試合を見るのがイヤで、決勝戦の数日後に2度目を見て以来ずっと封印したままです(苦笑)
ですがあの試合の1つ1つのプレーは心に深く刻まれており、中でも何度も神がかり的なセーブを見せてくれたDudekの姿は特に強く焼き付いています。
その彼が言ってくれた言葉。
「ファンにこれ以上の痛みを与えるわけには行かない」「あの試合はファンのための試合だった」
とても嬉しい言葉ですネ。
引退後はどういう生活を送ろうとしているのかは知りませんが、またどこかで彼と再会出来る日を楽しみにしています。
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